聴こえるって幸せなこと

聴こえるって幸せなこと。水野は3歳から突然聞こえなくなったので、誰よりも聴こえることがこんなにも幸せだということを知っている。

特に最近は音楽も聴こえる。

なんて幸せなことか!

聴こえないことで親に殴られたりしたことも、友達に仲間外れにされ仲良かった二人にシカトされるようになったこともある。何より小さい頃は、話しかけられても何も答えられないのが悲しかった。本当に無力で音の無い世界が当たり前になっていた。

何の情報も入ってこないのが当たり前で、情報なんてなくても生きていけるとさえも思っていた。

だけど人間社会は会話がないと何も成り立たない。会話が出来なくてどうやって社会で生きていけるのか?!

私には未来は闇でしかなかった。

不安で不安で、死にたいと思っていた。

だって何の希望も見えなかったから。

だけど、両親は私を生かした。

だから、今はこうやって幸せを噛み締めているんだよね。息が楽になって、やっと生きることが出来た。

耳が悪くなって、医師には治ることは無いとか補聴器付けたら聴力は落ちていくばかりだから頑張って下さいとか言われたりしたこともあった。ボーダーラインで苦しい思いをしながら生きていた。私は、言葉がハッキリしているからまわりからは難聴の人に見られない。旗から見たら完全に健常者である。

だから、何の配慮もされなかったし気付いてももらえなくて、誤解されることも多かった。

だけど、耳が良くなることは唯一希望であり、叶えたい望みであったから諦めたことは無かった。

色んな本を読み、霊界や因果応報やカルマの存在を知って理解したから、行動し努力し続けて諦めなかったら治ることを信じる事ができた。

私の人生は努力の結晶で出来ている。

努力無しでは生きてこれなかった。

努力しないことはすなわち死を意味していたから。何にもない灰色の未来には行きたくなかった。

だから、光を求め行動し続けた。

最初に霊界を整理しようと思って因縁解脱を霊能力者に頼んだ。耳の為に全てのお金は貯金したし、耳の為に全てのお金を使った。そして、最初に新聞に載るくらいの気功師に出会った。次に鍼治療に出会った。行動し通い続けてるうちに耳は良くなっていった。耳が良くなっても日本語がよく分からなかったりしたから一年で100冊本を読んだこともあった。

また、本からの日本語では会話とかにいかせないから、今度はYou Tubeで喋りを勉強したりした。全てが勉強だった。

そうして、色々やってるうちに私も人並みに沢山の方々との出会いがあり、まったく分からなかった人間関係を一から学び、普通の人に近付いていったのでした。

普通にはなりたくないとか思っていた私だけど、普通になるって本当は難しいってことに気付いた。

普通に生活して稼いで一人で生きていく。今の私はそこまではいってはいない。まだ半人前だ。

だけど、ここまでこれたんだから自分の中ではパーフェクトなのだ。

今は少し病気になって、ガッツリは働けていないけれど。でも、いつか人並みになれるような気はしている。そんなに遠くない近い未来に。

だから、多目にみてね。

これでも最大限に努力してきたつもりだよ。真面目過ぎたから、病気にもなった。もっとラフに考えられれば良かったけど、正しい生き方を知らなかったから仕方ない。

今はもう準備は整っているから、新しい自分になっていくだけだよ。

これから、自分は今まで出来なかったことみんながしてきたことを、与えられたものを返していきたい。

ごめんなさい、今まで眠りすぎたね。

でもやっと生きていく準備が出来た。

風のように通り抜けていくつもりだよ。

どうせ足跡は死んだ後に消えてしまうのだから、今出来ることを。

今生きている喜びをまわりの人達と分かち合いたい。

生きている感謝を人に伝えたい。

自分に出来ることをしていきたい。

出来ることを増やしていきたい。

大きくなって、地球に感謝したい。

人間の能力は人それぞれ。

だから、お互いに尊重しあえる自分でありたい。

かけがえのない毎日を自分のものにしよう。


…長くなり、すみませんでした。

「聴こえることは幸せなことだ」と伝えたくてこの日記は始まりました。

少しでも伝えられたなら、伝わるなら私は嬉しいです。一度きりしかないあなたの人生を大切にして下さい。

いつかまたどこかで会いましょう♫

あなたが夢を叶えた先で、会えたらとても嬉しいです。