うちの親にもいいところは沢山ある、
だがしかし、間違ってるところも多々
ある。
ダメだなと思ったところを記しておこうと思う。
今から5年前にその事件は起きた。
折の合わない母親と大喧嘩をした。
余りにも怒りが収まらず、私はそこら辺にあった椅子を思いっきり蹴った。
それでスッキリしようと心のどこかで無意識に思っていたのであろう。
ところが、である。
何の罪もない椅子ちゃんに怒りの矛先を向けた為か天罰をくらった。
椅子を思いっきり蹴って骨折してしまっていたのである。
初めて経験した骨折は、とても痛くて
ちょっと我慢の出来ないような激しい痛みであった。
ところが、である。
父親に椅子を蹴った足が痛いと訴えたら、なんと父親はこう言ったのである。
「何を言ってんだ?骨折はもっと痛いんだぞ!」
そう言われた私は、病院へ行きたいなと思ったが逆に私は精神的に弱いんだ…としばらく自分を責めてしまった。
今思うととんでもなく間違ってる親であると思う。めっちゃ足の痛さを訴えても骨折じゃないから我慢しろ…と。
骨折か骨折じゃないかは親の決めることじゃなく医師の判断することだと、今ならわかるのだが。
そんな感じの母親と父親に育てられたものだから、普通に生きてこれなかった私は普通がどんなかってのがずっと長い間わからなかった。
本当に狭いところで生きていたなと今では思うのだ。
私を救ってくれたのは統一教会のAさんだった。
その人との出会いですべてが変わった。
考え方生き方運命そのものが変わっていった。
統一教会に悪いイメージ持たれる方もいるかもしれないが、私にとってはなくてはならない唯一の教育センターであった。
まぁ、他の方にとっても統一教会が合ってるかはわからないのでオススメしてる訳では無いし、責任もとれないので私の行ってた統一教会は良かったことだけ記して置こうと思う。
こうして狭い価値観の中の二人の間でものびのびと生きれるようになった私は幾度となく二人の価値観を交わしてきた。
よくぞ乗り越えてきたと思うのだ。
私の聞こえない運命とこの両親との元でだけで人生を歩んでたら私の心は枯れ果ててどうなっていたかわからない。
本当に誰かと出会うことは大切で、
その出会いを作るためには信じることと努力することの2点だけだと思うのだ。
たとえ神様に何も与えられていなくてもマインド(考え方)だけで運命って切り開けると思うのだ。
私の過去は枯れ果てていたが、
今では沢山の方々と出会い宝物で埋め尽くされているのだから。
今は言葉があり、理解が出来、この世界に触れることが出来る。
生きていること生きてこれたことで
沢山の幸せに出会えた。
どんな過酷な親でも感謝しなければならない。親が居なかったら今自分は生きていないのだから。
生きていることそれ自体が奇跡だなって思う。
間違った親でも、ありがたいのだ。
間違った親でも、自分で未来を切り開けばいいのだ。
間違った親でも、それに流されなければそれでよし。
大変感謝。
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