世の中に「無料」のものは存在しないとあかりは考える。
そもそも「無料」という考え方がオカシイとさえ思う。
だって考えてみて下さい。
タウンワークは街で「無料」で配っていますが、「無料」でそこにある訳では無い。そもそも「無料」の存在なんて存在しない。
タウンワークは編集する人はボランティアで編集している訳ではなく、そこに編集者が労働した分だけのお金は発生している。
じゃあ、誰がそのお金を払っているのか?!…って誰かが無償でお金をバラまいてる訳でもない。
広告費として、仕事の広告を載せたい人が高いお金を払っている。
水野も街の雑誌に詩集の広告を載せようかと悩んだ日もあった。
が、しかし!
ちょこっとしたスペースに載せるのに
8万円もする。が、何もしないよりかは確実に沢山の人に見てもらえるだろう。
でも、お金が無いので断念した。
また、電車の扉の広告に、自分の詩集の広告を載せたいという野望もあった。
が、120万円もするのだ!!(@_@;)
とても手が出せない。流石電車様である。こちらも確実により沢山の人に見てもらえるであろう。
という具合に貰う人や、見る人が「無料」でもお金と時間と手間がかかってあるべくしてそこにちゃんと意味を持って存在するのだ。この世に存在するということは、そういうことなのだ。
「無料」という考え方を捨てて
お金の流れを考えたりすると楽しくなってくるかもしれない。
情報も「無料」ではない。
その人が時間とお金をかけて手に入れた価値のある情報なのであろう。
ノウハウとか、教材とか色々あるけど
目には見えないだけで、価値のある情報が流れていたりする。
その価値のある情報を意図的に「無料」で提供し、「有料」のものを販売するということもよくある。
だけど私から見たら「無料」のものも価値があるからみんな知りたかったりするんだよね。「無料」をみんな求めがちだけれど、お金をかけずにやりくりするのも大切だけど、「無料」の考え方が染み付いてしまうと自分の人生なんだか、味気なくならないかな?と思ったりする。
私達は意味があって生まれて、訳があってここに存在する。お金も手間もかけられてここに存在する。モノも人もなんでも。私はそういう風に思うから、「無料」の考え方に縛られてる人は一度、「無料」=「存在価値がない」みたいな考えになっていないか振り返ってみて欲しいと思う。全てはどこかでお金が発生していて、誰かが苦労して作り上げたものだから。
お金が発生しないのだとしたら、誰かがボランティアでそれをしていると思った方がいい。皆生活があるから、ボランティアばかりで世の中は成り立っていかない。
そういう風に一般の価値観に流されずに常識を疑うのも一つの考え方かもしれない。考えることで見えるものが変わってくる。
人生が生きやすくなる。
そんな気がしてやまない。
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